この記事を書くべきかいまだ悩んでいる。悩みながら私はキーボードを叩いている。
以前言ってたやらなきゃいけないことがあらかた落ち着き、私は次の記事のネタはいっぱい考えていた。遠征の必需品、大好きな宮野真守さんのこと、猫耳の三十路少年や赤髪になった自担のこと。前回ちょっと暗い話をしたから、次は楽しい話を。どれから手をつけるかなんて考えながら下書きにいっぱい記事をため込んでいた。でもそれらをすべて頭から吹き飛ばす勢いで24日のことはおきた。
あの日私のTLは関ジャニ∞のラブソングメドレー曲が「強く強く強く」に決まり、ざわついていた。もっとエイトいいラブソングあるじゃん?!と動揺しすぎてTLが「くくく」*1に染まり、まるで悪役の笑い声のようだなんて冗談を読んで笑った。パソコンで作業をしながらだったのでジャニーズが出るたびに炬燵に戻ってテレビを見た。初披露でもNEWSは完璧だったし、Hey!Say!JUMPはいつもどおりかわいかった。そんな中私は旅行で大阪から帰ってきたばっかの姉に狂平くんの卒業も話をした。姉も風男塾には興味を持ってくれていて、とくに狂平くんが友達と似てるし好きだと言っていたから伝えねばと思ったのだ。そこで何気ない会話の中で私は口にしていた「ジャニーズには卒業がないからよかった」
その数十分後、田口淳之介くんの来春での退所が発表された。
発表がある、という櫻井君のフリから田口君が発したその言葉。KAT-TUN担でもない私が理解できなくて頭が真っ白になったのだから彼を応援してきた人たちにはどれほどの衝撃だったのだろうか。私は茶の間より少しだけKAT-TUNには思い入れがあった程度。ちょうどごくせんドンピシャ世代だったため、その熱にのっかりデビューシングルも発売日にCD屋に行ってわざわざ買ったのだ。ただそれだけ。だが、デビューシングルを買ったことがあるのは彼ら以外にはいまだにいない。私があの時CD屋に走るほどときめいた彼らは6人で、それが4人なり、落ち着いてきたと思ったら、雪が降ってそれが溶けたら彼らは3人になるというのだ。
真っ白な頭のままTLをみれば「え」「なんで」など一言だけの呟きが流れていた。私のTLにはKAT-TUN担はほとんどいない。それでもそのときはみんなが止まっていたのだ。それからTLに流れてくる情報でこれが夢でないことを知らされていく、みんなが口をそろえて言っていた「いやだ」
私がベストアーティストに戻れたのはようやく自担グループの関ジャニ∞が出たときだった。赤髪になった安田君はいつものように大好きな笑顔ではいてくれなかった。横山くんとすばるくんはどこか上の空で目がキラキラしていた。そして歌いだしたのはもう騒いでいたことなんて忘れた――強く強く強く
信じられるモノを見つけたのに君はいつでも「これじゃない」と作った景色をなぐっては壊したありきたりな言葉「大丈夫?」に背を向け走り つまづいたそれが本当の愛だとは知らずに (雲は流れ…)かくした笑顔は誰のためにそれを探しに行こう君が手をのばした空の青が広がって痛み 悲しみも ありのままに歩け 強く 強く 強く
これはもう憶測だけど、これはファンの選んだラブソングではないのだと思う。だって関ジャニ∞にはもっともっとラブソングがある。ツブサニコイ、愛でした。、大阪ロマネスク、純情恋花火……。きっといろんな人の恋の場面で流れてきたはずだ。
この強く強く強くが出たときの宣伝文句はこれだった。
前に進もうとする人々の背中を力強く押してくれる応援ソングです。
きっとあの日のこの歌は彼の為に歌う応援ソングで、ラブソングだったのだ。聞いていると何故かそう感じてきて妙に泣けてしまった。あくまでも憶測で推測で妄想で虚構ではある。
でもそう思ったあの日の強く強く強くは、どの歌よりもひたむきなラブソングに聞こえた。
*1:強く強く強くの略称